忍者ブログ

PTAの耳はロバの耳~!

PTA見聞録です

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「そういう人」たちに対する考察

本記事における「そういう人」とは。

親ならPTA活動に積極的にかかわらなくてはいけないと思い、それを他人に強要する人達の事。

強要というのは言葉通り「やってください。個人的なできない事情はすべて却下」と、実際にアウトプットする人から、角が立つからそういうことは表立っては言わないけどメンタリティ的に思っていてやらない人は親失格とかボランティア精神が足りないとか思ってる人のことです。

まず……なんだろう??
視野が狭いのか、考えが浅いのかよくわからないんですが、彼女・彼らが見ている世界がとても単純であることに驚きます。
(対として、こちらの考え方を言うとたいてい「そんなへ理屈」とか「そういう人(PTAによって苦しんでいる保護者)を、自分は見たことがないし聞いたことがない。あなたの想像じゃないのか」「そう言う人はいるのかもしれないけど少数でしょう。いちいちきいていたらきりがない」「考えすぎ」などと言われます)

とあるSNSでとある人達の会話を拝見していたのですが、
Aさん(そういう人)とB(PTAに批判的な人)との会話で、とある中学校からのお手紙の中に、音楽の授業で何を歌うかということになり子どもたちで多数決を取ったという報告のお手紙があったそうです。
多数決の結果、僅差で○○という歌を歌うことに決まったと。負けた方は残念そうでしたが、今はみんな○○という歌を好きになってくれたと思います、という内容だったとのこと。

で。AさんBさんでいろいろ話てらしたのですが、Aさんが最後のあたりで、好きな曲でなくても時間をかけて付き合えば全員その曲のことを好きになる可能性があると思う、と発言されていて……

うーんと唸ってしまいました。
そうか、「そういう人」はそう見るのか……
私とかは、「全員」とか「絶対」とか言い出す奴らの言うことはまず信じるなって思うんでねえ……さらに言えば、その内容は「好き」というかなり個人的な感情なわけで、それに対して実際はどうであれ他者が言及することにもとても強い不快感を感じますわ。

一般的な団体で何かやった時の参加率とか、新しく組織を作った際の組織率とかは、70%あれば大成功っていいません?60%で成功だから次回も開催、50%なら要検討、40%なら再度やり方から考えなおして再検討、30%なら廃止……
いろいろ会社でイベントやったり学生の時の仲間内のお遊びとかもだいたいこんな感じってのが私の実感です。
100%の組織はどこかで無理をしている人やゆがみがあるはずだと疑いの眼でみるべし、と。
いろんな人間がいるのだから賛成できない人とか参加できない人が最低でも3割いるのは当然という前提で、6割の力で物事を組むようにと。
10割の力で組んで、参加してくれないと会がまわらないの!参加しない人は非常識な人!っていうのはちょっと……アホですか?と思います、正直。


Aさんが見てる世界と私が見てる世界。
ほんとのところはどっちがリアルなんでしょうね?
私は、中学生でも(小学生だとしても)その音楽のクラスには「つまんねー歌」「早く授業おわんねーかな」「二学期になったらこの歌終わんだよな」「そもそも歌とか嫌いだっちゅーの」ってやつらがいたと思うんですよね・・・・でもこれも私と言うバイアスを通してみてるわけで、本当のところはわからないです。
Aさんの言う通り、みーんな好きになってたかもしれない。

でもたとえそうだとしても、誰か一人でも嫌いの人がいるかもしれないと言う可能性があるのなら、私が見ているバイアスを通した方が、人を傷つけることなくつらい思いもさせないと思うんです。
私のバイアスを通すことによってとんでもないデメリットが生じるのなら、まあAさんバイアスでもいいですが、そんなことないじゃないですか。
最後のとってつけたような一文「みんなも好きになってくれたんじゃないかと思います」という、これだけを書かなきゃいいだけでしょ?
書くなかった場合、なんかすごいデメリットはある?
書いた場合のデメリットは、内心「つまんね、やっぱこの曲嫌いだわ」と思っていた子がこれを読んで感情を抑圧させてしまう可能性があるってこと。
あ、「そういう人」は、
「そんなへ理屈」
「考えすぎ」
「嫌いな子を、自分は見たことがないし聞いたことがない。あなたの想像じゃないのか」
「そう言う子はいるのかもしれないけど少数でしょう。いちいちきいていたらきりがない」
という思考経路がデフォルトなので、私のバイアスを通す必要がないんですかね、あ、そうですね、失礼しましたーーーーーーーーーーって感じですかね。

ぎゃくにメリットで考えると、
Aさんのは、クラスのみんながこれを読んで自己暗示にかかってクラスの一体感が深まる、ってのはあるかもしれないですね。
それとネガで、嫌いと言う感情を誰にも尊重されない子が抑圧される可能性があるわけですが。もしそっちがあるならポジの方もまやかしの一体感と言うことになりますね。

まあようは「あんたたち考えなさすぎ」ってことになるんですが、考えられないというより考えることがめんどくさいんだと思う今日この頃。
自分達がやってることに対して異論を持つ人に対して、相手の意志を尊重しつつ意見を聞いて自分がやっていることを調整していく……ということを、そもそもやりたくないんでしょう。
自分が見えてるこの世界でもういいじゃん。あれこれ考えたりやったりするのめんどいねん。だから異論はさむなっつーの。
……こういうのは立場が強ければ強引に押しきれるでしょ?学校の先生という職権しかり、PTAという組織を背負った数の力しかり。
まあ、でもこの辺は、説得するための単なる後付けの論拠でしかないです。

私が一番ひっかかるのは、ほんっとーに人のことを尊重してねえなあっていうとこ。
そして発言者の傲慢ぶりと無神経ぶり。自覚がないのがさらに厄介。

前にどっかのエントリで書いた「感謝」を強制することにもちょっと似てます。
同じ出来事だとしても、受け取る人にとって様々な受け止め方があるからこそ世界は面白く人には興味が尽きず楽しいんじゃないの?それを画一的にするのはなんで?
管理がめんどうだからっていうのはまあ、能力が低い人や状況が許さない人もいるからいいんですが、それを「みんなが好きになる」「みんなが感謝する」という、なんつーか無茶苦茶気持ち悪いお綺麗な上っ面で隠す意味はないでしょ。
多数決で負けて不本意な子もいると思いますが、真面目に歌ってくれています。
今後もこういう、自分の意に沿わなくても我慢しなくてはいけないシーンがあるかと思うんですが、我慢して協力はする、という力が育ってきているなと嬉しく思います。で、いいじゃん。
次は、他のみんなが歌いたかった歌を歌おうね、で、さー。
何でそう言えないの?¥

これはほんとのところはわからんです。
なんでそんなに世界の楽しいところを、みんな一緒でつまらなくしてしまうのか。
ナンデ????




そして、上のとリンクするのかわからないですがもう一つ「そういう人」について考えたこと。

うちのPTAで、「そういう人」は、結構お子さんに問題がある人が8割くらいな気がします。
一子一役なんで子どもがたくさんいるから今年やっとくわとかくじであたったからしょうがなくって言う人がほとんどなんですが、それ以外に1割くらい「そういう人」も混ざってるんですね。
で、いろいろ話を聞いて行くとその1割の中のさらに8割くらいは自閉気味とか学力が低いとか、生物的に「弱い個体」っていうんでしょうか、そういう子のお母さんの人が多いです。
ですが、養護学級というほどじゃない。健常児の学校生活には着いていけるんですが、周りの人の助けがあってようやく、という感じなんです。

それでいろいろ考えたんですが、そういう方々は日々、自分も子育ての悩み相談とかでいろんな人に助けられてるし、自分の子どももいろんな人に助けてもらってるのを肌で感じてるわけです。だからこそ恩返しという意味もあるし、そうやって誰かを助けることが普通であり自分はありがたかったからみんなありがたがるのが普通だから、みんな助ける(PTA活動)をやるべきだ、という発想になるんじゃないかなーって。

よくしたり顔で「地域に助けてもらってるんだよ、お返ししなきゃ」とか言ってきますが、正直うちの子はあんまり……。うちの地域、地の人とかあんまりいないしだから地域団体もやる人がなくて小学生中学生の母がやってるくらいだし。
つまり、PTAいらね、ママ友も別に、と平気で言える私は、とても恵まれてるんだなと思います。自分も健康で理解ある会社と夫で、子どももありがたいことに三人とも友達もいるし毎日楽しそうだし成績も何もしなくても上位だし……
それでも全く助けてもらってないなんて思ってないですよ。だからこそ自分も困ってる子どもや危ないことをしてる子どもを見たら助けるし注意もします。助け合いってそのレベルじゃだめなの?なんでそんなにやりたがるの?やらせたがるの?

そしてここから、ホワイト論とブラック論にわかれます。
これは「そういう人」の中にホワイトの人がいる、ブラックの人がいる、というわけではなく、
あくまでも私のホワイト想像とブラック想像っていう意味です。どっちが真実なのかはわかりません。

ホワイトは、自分の「弱い個体」の子がいろんな人に助けてもらってるから恩返しがしたい
⇒だからPTA活動には積極的に参加します、って言う人。気持ちはすごいわかります。
多分私も何かに困って、恩をうったり利害関係もなんもない人に継続的にたすけてもらっていたら、同じ気持ちになると思います。
でもそれなら、他の人に強要までするかなあ?とも思うんですよね。
実際そう言う人は、話のながれでPTA批判みたいな話になると困ったような悲しそうな顔をして黙り込んでしまう場合が多い気がします。
私も別に、降りかかってもいない火の粉にたいして乱暴に払いのけたりはしないので、早々に切り上げますけれども。

となると、人にまで強制する人達は何を考えているのか?
私のブラック想像では。
プライドとかじゃないのかなってちらって思ったんですよね・・・・
・・・・・うーん、でもこの考え方はやっぱりちょっと性格悪すぎっていうがうがちすぎな気も我ながらするんですけど。
つまり、施しをうけてありがとうございますすいませんすいませんって自分だけがぺこぺこしてるのが嫌なんじゃないの?もしかして、と思ったわけなんですよ。
施しをするのが義務なんだ、みんな施しを与えなさい、助けが必要でないこにも助けをあたえるのだって。
そうしたら自分の子だけじゃないから、いつも学校生活で我が子がクラスの足を引っ張っててそれに対して助けが与えられていることに対する後ろめたさとか感じないじゃないですか。

だから「うちの子は別にそんな助け入らないし、私もいらない。だから助けるPTA活動もやらない」ってなると、その人は「PTA活動」ではなく個人での施しをまた請わなくてはいけなくなるんですよね。それがその人は嫌なんじゃないかなあ。


何でそう思ったかと言うと。
実際擁護学級レベルの子のお母さんを知ってるんです。
3人だけですが。
そのお母さんたちと、「そういう人」の8割の人達とが全然ちがうから、ナンデかなーと考えてこういう風かな?って思う様になったんです。
擁護学級の子のお母さんは、ふっつーだったんですよね・・・・
うちは擁護学級の子も普通に混じって子どもどうして助け合って授業を受ける学校なので、そういうおかあさん達ともふつうに‘PTAで一緒になるんです。あと、個人的に仲がいい人にも一人います。

そう言う人達は変にボランティア活動に熱くなったり、逆に覚めたり突っかかったりもなく。
「やりたくないよねえ」ってさらっと言って、かといってやらずに済むようにロビー活動をしたり全ぶっちとかもせず、まあ普通にこなしてるんです。
お話してても過剰に卑屈になったり逆に傲慢になったりもなく、ほんとに普通。
これが「そういう人」はほんとに張り合ってくるんですよね、もしくは羨ましがってくるか。
そしてPTA活動に参加できないことに対して非難してくるわけ。
養護学校の方は、もうそもそも比べる対象じゃないから普通なんでしょうかね。
まあそりゃ小さいときからあらゆる壁やハードルを親子で乗り越えてきて、人間出来てるだろうしね。「いつも助けてくれてありがとう。ほんとに助かる」ってさらっと言えるわけです。

でもギリギリ健常児クラスのお母さんたちは。
いつもいつも毎回比べられるわけです。他のお母さんたちからの噂話やクラス内でのテストの点数とかから。そして人よりいつも下に置かれたらそりゃあ惨めな気持ちになるでしょう。それを平等にしたい、という気持ちがむいしきにはらくんじゃないかなーと。
私が受けてるのは施しじゃなくて、PTAの正統な活動なの。だからみんなやってよ!って。

うーん、書いたけど違うような気もする。
こういう風に、ねたんでるからでしょ系の結論って結局自分が気づいてないだけで、他に理由があることが多いし、自分は気が利かないのでそう言うのが分からないから、自分がわかる範囲で適当にこじつけて、妬みとかプライドじゃないかって書いちゃってるだけな気もします。

ま、別に結論が出ても出なくても特にいい話題なんでね。
このまま放置ですけど。

あと、自分的に自己嫌悪なのが、擁護学級のお母さんと、私が普通に話せない……orz
あちらが普通に「自閉症で○○が××なの」と、ほんっとにフツーの感じで言ってきてくれるのに、私はうかつなことをいって相手を傷つけないかとかいろいろ考えちゃって顔色が変わってぎこちなくなっちゃうんですよ……
そういう態度が一番いやだろうなってわかってるんですけどね。
未熟者な自分に反省です。でもそれを言い訳にして相手に嫌な気持ちをさせるのは違うのでこれからもフラットに対応できるようにしていこう。


その他もちろん「そういう人」の中には、何も考えてない人、考えていても理性よりも感情の方が強く発露してしまう人、とにかく決まりごとには従うべきそれがいい母いい妻だと思い込んでる人、地域や行政からの都合のいい要求に応えて感謝されることで承認欲求を満たしてる人、ってのも当然います。

PTAをやって、同じくPTAをやってるお母さんたちといろいろ接しましたが、ほんとに突出して一番大きい印象は
なーーーーーーーんにも考えてない
でしたね……
だからPTAやる前までは、地域にも友達欲しいなあーと思ってたんですが、PTAやった後は、もう地域に友達いらんわ…と思いました。
つまらん。何も考えてないくせにコンサバで、年のせいかこりかたまっていて、ほぐそうという気もない。そのくせ自分の価値観は砂上の楼閣なため、異価値感があらわれると自己崩壊の危険からか過剰防衛からくる過剰攻撃……そしてそのあたりをまっったく自覚せずにやってる。
もうちょっと理性が強く自律してる人たちだと思ってたんだけどなー……
こりゃー女に選挙権与えるなとか、女の判断なんて、っていう男社会の横暴に反論できないよ。
家事育児だけでは理性とかいらないのかしら。でもネットでPTA関係で発信してる方々は、家事育児だけの役割分担でもものすごく思考が深く懐も深いと思うんだけど、何が違うんだろう。そう言う人達、地元のリアル社会でなじめてるんだろうか?
私はなじめてないですが……

それともPTA(うちのPTA)にはそういう人が集まってるのかもね
で、私と同じくその他大勢の人々はそういうPTAにうんざりして極力やらないですむように無関心と最低限の義務を果たすだけ。
それでPTA側は逆上してさらに一子一役とか逃げられないシステムを作り追う、それがさらに人権侵害でみんなひいていって……というループなんだろうか。
でもそれならPTAに参加しててたら気の合う人はできんということだねw

PR

comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]