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PTAの耳はロバの耳~!

PTA見聞録です

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伏魔殿2

うーん……
悩み中です。

(1)PTAは組織である。
(2)よってその活動内容は、組織の構成員が納得できるものであってしかるべきである。
そのために、学校側と意識を合わせ地域活動に対する目的と意義を共有し、さらにそれをPTA会員と共有するべきである。
(3)活動の削減や追加については、その意義と目的を損なわず、全会員が無理なく活動できるようにするべきで、それでも活動できない会員については柔軟に、できる活動をしれもらうよう選択肢をいくつか用意しておくとなおよい。


ちょうど学校側の考えも、PTAに望んでいるのは旗振りとか防犯パトロールとかの目立つ即効性のある活動ではなく、薄く好印象を持ちつつ地域みんなが顔見知りになること、という基礎部分の醸成を望んでいるらしいので、じゃあそれに活動しやすくなるようにいろいろ考えようかって感じに落ち着いてる。

でもね。
「なんでそんなしちめんどくさいことかんがえるの?」「旗振りも防犯パトロールも、ボランティアでやってくれてる人たち(子どもも巣立って会社も退職した方々)もいるんだよ?」「子どもがお世話になっている私たちこそ、旗振りやパトロールのお手伝いをするべきじゃない?」
って言われるとね……

もしかしてそうかも……

とかすぐヒヨるんですよ。フネは。
組織論ってのは私だって正式に勉強したわけではなく、会社組織でうん十年働いてきた中で身についた、「いろんな利害関係をもつ人々をまとめて一つの目的を果たす」ために必要な方法論なわけで。そんなのをボランティアに持ち込まなくても、と言われるとそうかも、って思うんです。

しかし!PTAは100%ボランティアじゃないよね?
建前はそうだけど、現場では強制100%ですよ。そういう人たちに、その暑苦しい「ボランティア精神」を押し付けてみなで行動するべきだ、というのは違うと思うんです。

ほんとは全くの入会自由にまでしたいけど、今すぐはできないから、とりあえずフネが目指しているのは、
「PTAうざいし、いらないって思うけど、この活動はまあたいした手間がかからないし、こういう目的でやってるってわかるから、じゃあここはこう手をぬいても目的は達成できるから、とりあえずやっとくか。戦うのもめんどくさいしこれくらいならね」
って感じにしたいわけです。
そうしてるうちに、校外活動の意義とか目的がじょじょに保護者に浸透して、自発的に声掛けをしてくれるようになるんじゃないんだろうかって。夜に小さい子を家において集まって、女だけでパトロールして声掛け(してないと思うけど)するよりも、会社帰りのコンビニに集団登校で見てた子が一人でいるのを発見して思わず声をかけたっていう方がよっぽど効果があると思うんだよね。
「PTAうざいし、いらないって思うけど、……あれ?あの子、朝の集団登校でうちの子が小学校の時にいた……たしか隣の家の○○くんじゃないか?……どうしたの?こんなとこで」
「(警戒)……あれ?××のおかあさん?」
「そうそう。集団登校で時たまつきそってたでしょ。どうしたの?」
「道に迷って、でも知らない人と話しちゃいけないって言われてるし……」

みたいなね!ボランティアだと思わずにボランティアができるような空気をつくれればいいなあと。
 


これくらいならたいして負担にならないし、十分に子どもの安全を守ってるし、こういう即効性のない地味な仕事ってPTAぐらいにしかできないんじゃないかって思うわけです。
で、こういう風に地味~に浸透していき、校外活動の意味とか目的とかももはや常識となった時に!
「PTAは入会自由なんです!」とやればいいんじゃないかと。
保護者の入れ替わりが必要なので、最低でも6年は必要ですが。

ちょっとずれますが、フネが考えているPTA解体手順書。

PTAは任意だと公表できない最大の理由は、そうなると入会者がいなくなってPTAがなくなってしまうから、という恐怖からだと思います。
PTA無駄、とは思いつつも何十年も学校とともに歩み続けてきた大組織をあっという間に一年で無にしてしまうと、どんな弊害が出るか予測ができない。
子どもに影響はないと思いたいけど、学校側、子ども側に何か影響がでるかもしれない。
ってんで、ソフトランディングとして、
1.まずPTAの目的(皆が、なるほど、と納得できるもの。個人の思い付きとか価値観にかたよったものではないもの)を明確化する。
2.それを学区内全保護者に十分に浸透させる(最低でも6年かかる)
3.意義をみながきちんとわかり、活動にも無理がないようにミニマムのみ強制もしくは輪番とし、さらにどんな忙しい人でもできるように改革する。さらにできなかった場合のきちんとした救済策も作って実施する。
4.さらなるボランティア行為をしたい人は、100%でのボランティアを募り実施。そのボランティア集めや管理についてはPTAは協力するが、決して強制ではない。
(PTAが動くと強制になってしまうから)
5.そんな感じで活動が続き、これが当然となった時になって初めて、「PTAは入退会自由です!」とする。同時に入会した場合の活動内容詳細も配布。入会しなかった場合の説明も実施。
一年様子見て二年目からとかでもOK.
6.そういわれても、まあそれなりに子どもの役にも立ってるし(意義の浸透)、これくらいなら何とかできるし(活動のミニマム化)、たまたまできなかったときもPTAから援助があるし、責任についても執行部全員で考えてくれるし、まあ続けてもいいんじゃないかな。いやになったらやめよっと
7.いやになることもなく無事卒業。

ってのが理想です。
話を戻して、
でもPTAには当然、旗振りして子どもと笑顔であいさつしたい!とか自転車の前かごに安全パトロールとか札をつけて走れば目立って防犯になるんじゃないか、とかそういうことをしたい人も当然いるわけです。即効性のある目立つ仕事。
で、当然ながらそういう人の声の方がでかい。
やりたければ勝手にボランティア募ってやればいいって思うんだけど、そういう人に限って依存タイプでPTAに音頭取ってやってほしいらしい。そして「いいこと」をしてると頭から信じてるし、「いいことをしてるから自分はいい人だ」と心底思っているし、「いいこと」なんだからPTAも当然やるべきだ、と思っていて、それを迷惑に思う人がいるとはこれっぽっちも思っていない、善意100%の厄介な人に、「世の中にはいろんな価値観のひとがいて……」なんていちいち説明して納得させることができるとは到底思えないんですよ。

でもそういう人が多いんならね、私がうだうだ考えた組織論とかそういうのはどうでもいいんじゃね?って思うわけですよ。
そういう暑苦しいことに巻き込まないでくれれば、PTAという名前を借りて好きなようにやればいいと思うんです。それによって何も知らない普通の保護者で迷惑をこうむる人はたくさんいるだろうけど、もう大人なんだし自分でなんとかしてください、と。

で。今日ね、そういう暑苦しい人が、近所にリタイアした人で自発的に毎日旗を振ったり見回りをしてくれたりしている人がいる。本当にありがたいことだ。みな感謝の気持ちを持つべきだ。委員会で子どもたちに「そういう人に感謝するべきだ」って教えてあげないとね。と言われたのです。

うーん……

どうなの?これ
ぶっちゃけフネは、他人の思想や価値観まで統制しようとする、善意カルト的なものを感じて生理的にぞっとするんだけど。
いや、確かにボランティアをしてくれる人に感謝するのは、別にいいと思うんだよ。
で、子どもは、この人はボランティアでお金ももらってないのに僕たちを守ってくれてる人なんだ!なんて教えてもらわないと分からないから、教えてあげるのは別にいい…気がするんだけど、なんか違うんじゃないかっておもうんだよなあ。
まず、自分は感謝してるけどほかの人や子供たちは感謝してないっていう前提がもやる。
次に、じゃあ感謝した子、した人はいい人で、感謝しない子、人は悪い人なのか?って思うと別にそういうわけじゃないと思う。
ボランティアでやってくれてる人は、別に感謝しない人たちに対してほかの人たちが「感謝しないなんて!」って非難するようなことは望んでないと思うんだ。

いいことをやってくれてる→「感謝しましょう」
あれは、人から感謝されてしかるべき善行なんだよ、と教える……
どれも「正しい」とは思うんだけどね。
それを既定のものとして「教える」のは違うんじゃないかと。そういう気持ちは自然にでてくるものなんじゃないの?

それを言うと、PTAの上部組織が毎年決めてた(最近やめたらしいけど)「子どもに見せたくないテレビ番組」みたいなのもねー。何を根拠に決めてるの?っていう感がぬぐえないんだけど、そういう、「自分がそう思ったから」というだけの価値観を普遍的なものとして人に押し付け思うがままに操ろうとするのは、PTAのDNAのようなものなのだろうか。
だとしたら、「組織」として動かそうとしている私の方が異分子で、去るべき存在だよね。

昔は「道徳」なんて授業があって、今もあるけど、「何が善で何が悪か」なんてことを教えることも許されてるんだよね。ってことは上のもいいのかねえ……

なんか違うとは思うんだけど、ここが違うからそれを委員会で言うのはやめようと言えないくて、でも自分の信条とは違うから言いたくない。
でもその暑苦しい人はたぶんフネのようなやり方は、全く理解できないと思うんだよね。なのにつきあってくれてるわけ。ならこれぐらいは言わせてあげればいいんだろうか。

もやもやを書きだしたら整理できるかと思ったけど、やっぱりもやもやしたままだなあ




<追記>
一晩寝てちょっともやもやが晴れました。
もやもやした理由
(1)「感謝」とは心の中から自然に湧き上がってくる感情こそが「感謝」であり、「この人はいいことをしてくださっているんだから感謝しなさいよ」とわれてすることはもう「感謝」ではなく別のものだと思うから。

ただ、物の仕組みを知らない子どもは、「そうだったんだ」と思って感謝するようになることはあるかもしれない。でもその場合も、「この方はこれこれこういうことをやってくださっていてこれはあなたたちにとってこういう恩恵があるんですよ」と教えるまでにとどめるべきなんじゃないかなあ。それで素直に「感謝」が湧き出る子もいるし、「ふーん」で終わる子もいる。
「ふーん」がよくないとはいえないよね。
たとえ子供でも個人の持つ感情は自由にしてあげたいと思うな。

(2)ボランティアしてる人はそんなことは望んでいないから。

PTAとは違い基本やりたいからやってるわけで、それで「ありがとう!」と(1)で言った「感謝」で言われるのはうれしいけど、「感謝しなくちゃいけないのよ」とか教えられたくないt思うんだよな。ってか私はそう。
別のPTAサイト様でお菓子作りのグループをPTAに見立てて、どんどんおかしくなるのを買い照らしてるのをよんだことがありましたが、そんな感じ。
お菓子を作りたい人は好きで作ってる。それを食べさせてもらえる人はおいしい!と喜んで食べてる、もちろん感謝もある。
ところが、その中から「もっと感謝を表すために」「お手伝いするために」「わたしたちもやりましょう」とか「お礼の○○を渡しましょう」とか言いだす。
その活動が義務化して活動からぬけようとすると「感謝していないのか」となる……

やっぱり間に入ってほかの人に強制するのがいけないんだと思う。
自分が感謝していればいいし、ほかの人のことも尊重してほしい。ほかの人にもそれぞれ考えることがあってそれぞれ感情があるわけよ。それは権利であり完全に自由。「こうあるべき」とくくることはできないと思う。
たとえそれがいいことでも悪いことでもね。


でもね、「素晴らしい活動だから感謝しましょう!」と簡単に人に強制できちゃう人には、これを言ってもたぶん理解できなんだよね……
単純というか、うーんなんだろう……論理的思考ができないってことかなあ?順序立てて考えようという気がないというか。
こういひとは学校教育はとても苦手だと思うんだ。でも、うまくそういう、人を人とも思わないところとか自分の気持ちだけを押し付けるところを改めれば、社会の円滑油となってくれると思うんだけどね




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