忍者ブログ

PTAの耳はロバの耳~!

PTA見聞録です

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

選出会

部長副部長選出会の話です。

一年かけて一人でネットを調べて、他のPTAではどういう選出方法をしているか調べました。
そしてそれぞれのいい点悪い点について考えて、なぜうちの学校は今の選出方法になったのかを考えて。
案の選出会のお知らせ用紙作って、同じ部長副部長の三人に相談。
説明と説得をして、意見をもらって書き直し。
また見てもらってOKもらったら、次は執行部。

喧々諤々の批判非難を抑え込んで(副会長は賛成、会計の例のちょっと仕事ができない感性で生きてる人が反対)意見をもらって再度書き直し。
※その反対の理由が、ようわからんかったです。
 どうしてもできない人は、これまではみんなの前でプライバシーを開示して承認もらえれば、免除もらえなければくじ参加、って感じだったんですが、今回は、いろんな仕掛けを作った上で最終的に理由書みたいなのを書いて、校長先生に提出っていう形にしたんです。
それにも、ポイポイ理由書を気軽に出されると困るので、ほんっっっとーに無理な人以外の普通の感性の人なら出しにくいというようなハードルもいろいろ考えました。
で、その理由書は、案ベースでもあったし、打ちだしとか楽なんでA4サイズにしたんです。そしたらその人の反対の理由が、「こんな大きい用紙に理由を書ける人は、クラスで知らないお母さんたちの前でプライバシーを公開しても大丈夫な人」(メンタル強い、図々しくて図太い人。私はちがうけど、私はおとなしいからそんなことできないかわいそうな人間だから)。
()内は私が聞いた幻聴ですが、「」は本当に言ってました。で、本文ややり方にはつけいるところがなかったらしく、理由書のA4サイズはだめだと。
おとなしい人、心が優しいひとは、免除理由をこんな大きなサイズには書けないそうです。

………ふーん……
よくわからんけど……
半分サイズにしろとのことで、打ち出して100枚程度刷った後、それをいちいち半分に裁断しなくちゃいけなくてチョー面倒だけど、そこさえ聞けばこれを通してくれるんなら聞くけど……
意味が分からない。
まったく。
※この辺で、PTAにたいして結構もう付き合って言う価値は無いなと思いました。


で、執行部をクリアした後は校長先生ですね。
校長先生は、免除申請を出した人についてズルいと言う声があがるんじゃないでしょうか、とプライバシー侵害についてなにも施設管理責任者として責任を感じていないような発言でした。
が、まあその辺は適当に説得して「まあ、じゃあやってみましょうか」とのお答えをいただき、意見も頂いたので、さらに修正。
※この辺で、小学校の校長先生でも姿勢を正すような聖職としての意見は聞けないんだなとしらけました。

というわけで、一人でほぼ一年かけて正式な筋を通して変更したわけです。
でそれを配布したわけです。
配布した日から選出会当日までの間……
他の3人の不安定ぶりがまー大げさだなあっていうか、なんていうか……
1人、例の仕事しない私が嫌ってる人が、ママ友たちの裏の話をするわけです。さらにぺらぺらしゃべっちゃうもんだから(しかも間違ってる内容を)、炎上したりして、それをまた自分の中で持ってられらなくてみんなに話すんです。
そうすると当然みんなは心配になって、いろいろしょうもないことを考え出す。
あれについて質問されたらどうしよう、あそこで突っ込まれたらどうしようって不安をぶつけてくるわけですよ、私に。
で、当然ながら私一人がやったことなので(みんなは了承はしたものの)、責めるような言葉になるわけです。そんで勝手に誤解して、発出したあとにやっぱりあそこが間違ってた!訂正しないと!と勝手に訂正してぐちゃぐちゃになったり……

選出会の司会も私がやるし、質問も全部私が答える。
そんじょそこらの人よりは相当調べてるし自分の意見もあるから、言い負かされたりこちらの間違いを認めるようなことにはならないからもういるだけでいいから……とまではいわなかったんですが、何もしなくていいよ、当日は私は別の学校内の会議に出ないといけないから事前のくじの準備はできないからそれだけお願い。となだめました。

で、ふたを開けたら何の質問もないし、きちんとPTAとは、とか、校外活動の意義や目的、どうしてもこれだけはご協力いただきたいこと、年間スケジュールもろもろ……きちんと説明できました。

しかしくじの内容が間違ってた……orz

なんだろうね、ほんとに……
びっくりするくらい……その……いわゆる「仕事」ができないね。詰めが甘いし……。
大事なことは任せられない。
そのくせナーバスになってなだめるのに疲れる。

ナーバスになる理由はわかります。
きちんと自分を支えるものがないんですよ。
きちんと真正面から、PTAとはっていうことについて突き詰めて突き詰めて考えて、自分なりの答えを出して、逆の立場から考えてみて、またその答えを修正したり、他の考えに触れたり。

調べて、情報を集めて、自分の頭できちっと考える。
そしてそれを、人に伝えるときにどう伝えればわかってもらえるかについて試行錯誤して自分で読みやすいだろうと思う資料を、最善を尽くしてつくる。

そういうことをやっていないから、「あれいわれたらどうしよう」「これいわれたらどうしよう」と考えちゃうわけです。答えが自分の中にないから。
なぜ、その資料にその文言があるのか理解していないから。
真剣の度合いが、レベルが違う感じがします。やっぱりこれは職業の有無に関係するんだろうか。
私も専業主婦だったら、ああやってぼーっとしたままでいけたのかなあ。


なんか全編自慢というか、「私がぜんぶやったのよ!あんたたち何もしてない上に足ひっぱりやがって!!!」って感じですが、

だってそう思ってるから!

ほんとーに一人でやったほうがいい。
ご丁寧に「裏でこんな意見があったわよ」とか聞く必要ないんです。
既得権益者にとってはそりゃ文句をいいたくなる変更点はあるでしょう。でもうちのPTAの未来を考えれば、この変化を今しておかないと傾いていくばかりなのは明白なんです。
そしてとても苦しんでいる人もね。
そういうことはどうてもいいっていう自己中な人の意見に左右されて、PTAのあり方すらも左右されてしまうのはとても愚かなことです。

が、他の二人にとっては筋をとおすことやPTAの将来、苦しんでいる人の救済よりも、裏でへんなお母さんたちがこそこそ言ってることの方が避けたいことのようです。
※この辺でもう、ほんっと早く終われ。終わったらみんなで飲みにいこうねーご飯食べに行こうねーって言われてて、うん、ぜひー!って言ってたけど、もう行く気もねえよってなりました。
だって時間の無駄だもん。そんなつまらん人と話をしているより、もっとワクワクするような私の知らない世界を前向きに歩いてる人、一生けん命頑張ってる人と話したい。

そのうちの一人に、「私のわがままでいろんなことを変えちゃってごめんね」ってあやまったんですよ。自己満につきあってくれてありがとうって。
これは本音です。他三人にとっては思ってもみなかったことを言われて、適当に前年度踏襲もできなくて、ママ友NWでぼこぼこにされて、大変だったと思うんですよね。そこは本当に申し訳ないと思ってるし、感謝の気持ちでいっぱいです。

そしたら、いやいやこっちこそ。一緒に成し遂げられてうれしい。意志がないとできなかったことだと思う、という返事が来たんですよね。

意志がないとできない……

この言葉にひっかかりました。
私としては、別にそんなたいそうな「意志」を持っていたわけでもないんですが、他の人にとっては意志の持った行為に思えたんでしょう。
他の人はじゃあ意志がない????
いや私の【意志】が、彼女たちの常識を超えた強いものだった???

どうしてもできない人にプライバシーを開示するように強要したり、風邪で休まざるを得ない人に今すぐ代理人を探せと言うようなことに実際触れたら、おかしい、なんとかできないのか、と思うのは【意志】とかじゃなくて普通の感性ではないの?

というか私はそれが普通の感性だと思っているので、私から見るとPTAでおとなしく活動内容に従ってプライバシー侵害をしている人達は、理解できなくてうすら寒いんでしょうね。
そういえば、幼稚園バス停の時で仲良くなったお母さんはたくさんいるけど、
「この人はこういう意見を持ったこういう人」
っていう風に思えた人は一人しかいなかったなー
若くてギャル風の人なんだけど、その人とは今でも仲良しだしわたしもお話したいと思うわ。
でも他の人は、別に面白い話題を振ってくるわけでもないし、代替可能って感じでした(←ひどいw)

意志がないってことはないと思うんですよね。
それを表に出すということに抵抗があるのか、それをしないことが美徳だという意識があるのかな??

ここは、なんどかんがえてもいつまでたってもわからない。ですが、もうどうでもいいですw
今後付き合うこともないと思う。

私がもう少し暇になったら、きっと付き合える気がします。




PR

母親に人権はない


ようやく終わりました。
ながながと愚痴やら偉そうな講釈やら批判やらのブログにおつきあいいただいてありがとうございます。

このまま特になにもないまま終了かなーと思っていたんですが、最後にちょっといろんなPTA会員と話す機会があり、これまでの印象が一変しました。
それが上記のタイトルになります。

【1】
PTAがこんなにひどい組織なのは、一部のチュプや自治厨のせいだけじゃなかったんですね。
もちろんそういう人もいます。普通の社会と同じです。
でもPTAのような規約もあり人数も多いある程度きちんとしなくてはいけない組織では、【普通は】そういう人の意見は採用されずに、常識的な運営になるはずなんです。
ところがPTAではそうならない。
それはなぜか?
めんどくさいのと興味がないのと、大勢に逆らえない人が多いんだよねたぶん。
それはPTAが義務教育の一部組織のような印象があって、言われたことをやるのみという思考回路になっちゃってるからなんじゃないかな。
→と、思っていたんですが、結論が大きく変わりました。


【2】
あと、うちの行政の義務教育は、すごくいいなーと思ってるんです。
子どもが三人いるんで何度も授業参観にいくんですが、結構道徳の授業の場合が多いんですよね。
・人の違いを受け入れること
・相手を尊重する事
を、丁寧に教えてくれていました。
集団のために個人が存在するという私の時代の義務教育から、大きく舵を切ったんだなという印象で、今後グローバル化していく中で必ず必要になる概念だと思います。
しかし!
それを教わった子が帰ったおうちでは、母親がPTAのやり方で人権無視をしているわけです。
そりゃーあかんやろと。
未来を育てる母親たちがつくる組織であるPTAこそ、人権に敏感すぎるほど敏感で、子どもに見せても恥ずかしくない組織にしましょうよと、思うわけです。
さもないと、夫は会社で人権学習をして子どもは小学校で人権について勉強して、母親は子どもが巣立ったら誰にも相手されない老害になっちゃいますよって思うんです。
なんか家族で話し合ってる時も「あーもう母さんの意見はいいよ(参考にならないし非常識だから)」で相手にされなくなるんじゃない?
だからまずPTAで変わりましょうよ!
→と思っていたんですが、PTAが変わることは、その構成員であるお母さんたちのアイデンティティを揺らがせることになるかもしれんと思い、老兵は黙って去ろうといううふうにかわりました。
※うちの裕福な校区限定の話です。

【3】
そもそもみんな、免除してもらうにはプライバシーを自分で説明して承認とれとかというのはかわいそうだと思わない?
推薦者がだれだか教えられないまま、互選会に必ず必須とかいじめに近いと思わない?
休む時の代理人は自分でさがせとか、活動が難しくなった時は自分でなんとかしろってひどくない?
義務は組織として課してるくせに、責任は個人でとれってひどいと思わない?
思ってるけど、言えない人面倒な人がほとんどなんだよね。
でも声に出して言おうよ~言わないままだと、子どものいじめの傍観者と同じだよ

→私がかんじてるほどまではひどいとは思ってないんだなとわかりました。




………だいたいこんなかんじでしょうか。
今年度、こういう話を仲良くなった人達にしていっても、皆さん反応が鈍いw
「そうだよねえ」といいつついざ変えようとなると血相変えて「前年度通り」
法律や条例を出すと「むずかしくてわからない」「訴える人なんていない」
数値的な根拠資料をだすと「感情の問題」「あたたかみがない」

基本理解はしてくれるんですが、いざかえようとすると反対するんですよね。
そういう、いわゆる人権的に正しい、法律的に正しい、論理的に正しい、のと、実際の現実のこのPTAの運営は全く違う的な感じです。
それはそれ、これはこれみたいな。
そういうのは別世界であるかもだけど、ここに適用する事なんて考えたことがない、みたいな…ね。

その辺が私にはよくわからなくて、意志がないのかなあ?とかいろいろ推測していたんですが、なんとなくわかった気がします。

自分たちがそういう扱いを受けたことがない


んじゃないかなと。


最後の一か月、校外活動の変化に対して批判的なお母さんたちと結構な人数とお話しました。
対組織の会議というかんじではなく、個人的に。
1対1とか立ち話とかそんな風に。
そうなると、ご自身の旦那さんの愚痴がまずくるわけですよ。そのあとに日常の話とかね。
そういうのをきいているうちに悩み相談みたいな感じになってきて、いろんなお話を聞けました。

PTAで狭量な人は、家庭や義理の実家から狭量な扱いをうけており、
PTAで他者を尊重しない人は、自分も家庭やパート先から尊重された扱いを受けておらず、
子どものために!をふりかざして無茶な活動を押し付けてくる人は、ご自身も子どものためにと言われていろんなことを我慢させられてきている人でした。


そこから感じた結論が、

日本では母親には人権は無い


母親になった途端に、「お母さんなら」「母親でしょ」「ママとして」という圧倒的な押しつけが社会から降りかかってきます。
赤ちゃんが自分で脱いだ靴下でさえ、通りすがりのばーちゃんから批判されたりしてね「母親なのに気づかないなんて!赤ちゃん寒かったでちゅねー!よちよち」とか言われるわけです。
いえ、私、トイレ行きたくて行きたくてしょうがなくて、靴下なら予備があるし……とでも言おうものなら、母親なのに!そんなのあなたの個人的な事情でしょ!赤ちゃんにはそんなの関係ないの!母親ならそれぐらい事前に考えて調整しておきなさい!みたいな社会の目があるわけです。
最近も子どもを飛行機に乗せる、新幹線に載せる、ベビーカーで通勤電車等、いろんな論争がありましたよね。

子どもを産むと、山田花子という個人はいなくなるわけです。
赤ちゃんのお母さん、山田さんの奥さん。です。赤ちゃんが大きくなると○○ちゃんママとなり、山田さんの奥さんとしての意見や○○ちゃんママとしての友達はできますが、山田花子という個人の考えを聞きたいと言ってくる人はほぼいなくなります。
社会的には山田花子はどうでもいいわけですね。それよりは、山田さんの奥さん、○○ちゃんママとしての社会的役割を必死でこなすようにと言われます。

人権って個人に発生するもので、社会的な役割には発生しないよね。

だからこそ、お母さんになると、「あなたの考えを教えてください」と目を見て考えや意志をきかれることはなくなるんです。
「あなたのご都合はいかがですか?」というのもなくなります。奥さん、ママとしての都合はありますが。

そしてそういう扱いに慣れていきそういう社会しか知らない人たちが集まってPTA活動をすると、当然ながら他のお母さんたちにもそういう扱いしかできないでしょ。
だって知らないんだから。
いろんな人の都合をいちいちきいて考えてもらったことなんてないです。
検診やら予防接種やら、全部行政の都合にこっちがあわせないといけません。
行政以外でも専業主婦を軽く見たり、女子供の意見として一派ひとからげにして尊重しない風潮があります。
じゃあ自分たちで運営するPTAでも当然、いちいち家庭の事情なんて聴く必要ないって思いますよね。
「子どものために」自分のしたかった趣味は全部あきらめざるをえなくなります。
子どもが小さいときはほとんど全部のお母さんがそうなります。趣味をやめて2,3年したら、もう趣味に対する興味もなくすでしょう。
そして何に対しても特に興味がなく、子どもが育って手が空いた時間にすることと言えば、主婦同士で噂話をするかワイドショーを見るぐらいしかなくなってしまうんですよね。
もちろん、手がすいたら元の趣味に戻る人も新しく自分の趣味を始める人もいると思います。でも普通はなかなかそうはいかないです。
私は自分個人の趣味がありますが、やっぱり社会の目は厳しいですね。
子どもがいることを公開して同じ趣味をしている人は、影で子どもほったらかしてよくやるわと言われていることもあります。(もちろんそんなひとばかりじゃないですよ)。
子どもが三人もいる私が公開したらどうなるかと思い、私は個人的な話は信頼できる友人以外とは一切していないです。
それに私の実母からのプレッシャーもあります。そんなことやらないで、今は子どもにあなたの時間の全てを使ってあげなさい、という感じで。
しかし、ここがまたダブルスタンダードなんですが、その趣味でかなりの金を稼げるようになると、実母の態度は変わりました。
仕事もして趣味でもそんなお金を稼げるなんてすごいわね、と。
あからさまに「そんな趣味はくだらないからやめなさい」とか「母親なんだから今は母親の仕事だけをしていなさい」とは言わなくなりました。
その金で家族5人をヨーロッパ海外旅行に連れて行ったら、もう口出しはゼロ。
この辺りが、専業主婦の方々のもつモヤモヤ(社会からの目。自分の勝手なコンプレックス)に関係していると思います。
つまり、金をかせぐことはえらいことだという価値観ですね。



旅行が趣味って人で、幼稚園を休ませてまで子どもと二人で旅行ばかりしているお母さん。
こどもをおいてライブに自分だけ行くお母さん。
どれもこれも社会では批判の対象です。

「こどものために」やりたいことをあきらめるのは、母親として当然なんです。
私も実際年配の方に言われたことがあります。
最近の若い母親は、子どもを産んでも自分のやりたいことをあきらめない。だから問題児童が増えるんだ。子どもを産むのなら自分の人生すべてを子どもにささげるつもりで産むべきだと。

そういう価値観は確かにあります。
年配の方だけでなく、家庭の旦那さんやお母さん自身にもあります。
子どもができたら妻に仕事はやめてほしい。やっぱり子どものそばにいてあげてほしいという旦那さんはとても多いです。
結婚した相手のこの望みをかなえてあげたいと思うのは、まあ普通ですよね。
労働条件がとても良ければ別ですが、髪を振り乱して家事育児仕事をしないとこなせないのが現代日本のワーキングマザーですし。


そうなると、「こどものために」仕事を休ませてでもPTA活動に出るのは当然、どんなにきつい活動でもやすまずやるのは当然と言う風になるんでしょう。

つまりは虐待が連鎖するのと同じなんだなというのが、私の結論です。

■なぜPTAは他の会員を大人として尊重した扱いができないのか。
→自分が社会からそういう扱いをうけたことがないから、そういう扱いがどういうものかわからない。

■なぜPTAは法律を守らないのか
→家庭内でのむちゃな要求や、義理実家からの不条理な要求には法律なんて役に立たないから、自分とは別世界の話だと思っている。

■なぜそんなに心が狭い運営の仕方なのか
→自分も社会から「母親として」個人をおしころさざるをえない狭量な扱いをされている


こういう土壌が、PTA活動に参加している母親たちの根底に共通認識として横たわってるんだと思います。
常識的な人たち、紛れ込んだチュプや自治厨。
でもみんな共通してこの土壌を持ってる。
だから、いろいろな人がいたとしてもPTAの運営自体は、結局はこういう風なものにもどっていくんでしょう。

私は幸いにして夫とも大学の同級生だし、かなりでかい会社の正社員でこういう扱いを受けたことがなかったので、はじめてPTAでこういう扱いをされて相当驚いたんですね、たぶん。
で、社会常識(男性の社会常識です)から照らし合わせて、あまりにも非人道的で人を尊重してないよね!?と言ってきたんですが、まわりのお母さんたちはうなずくもののピンと来てない感じがようやくわかりました。
ピンと来てる人もいるんでしょうが、少数でPTAのノルマをこなしたらすぐに去っていくんでしょう。今の私みたいに。

でもね、私が「その土壌はおかしい!」と言ってそれをPTAに認めさせたとしたら。
そうしたら彼女たちの立つ瀬がありません。
そんなおかしな扱いをこれまで社会から受け続けてきて、これからも受けていくわけです。
これまではその扱いがおかしいなんて思ってもいなくて、だからこそPTAのあんな運営方法にしたんでしょう。いいやり方だとまでも思っていたと思います。

でもその扱いは、法律に違反してるし非人道的だよ、数値的にもおかしいしマトリックスで論理的に考えてもおかしい。認めてPTAを変革するべきだ、という風にして、本人もそれを受け入れたとしたら。自分がこれまでうけてきたしうちは一体何なのかと、彼女たちのアイデンティティは崩壊するんじゃないのかな?
でも、たぶんうすうす気づいてると思う。
変えることに非常に反発する人たちは、数字も法律も「そんなの関係ねえ!」です。
とにかく「子どものために」やってる私が社会正義なんだと、強行にこちらの主張を突っぱねます。
だけど、1対1で話すと、本人が一番つらいんですよね。
私生活でのコンプレックスなのかなんなのか、愚痴というにはあまりにも悲しい話(本人にとっては普通の話しなので悲しいと思っていないと思いますが、私の常識からしたら悲しすぎる扱いです。奴隷みたい。でも私の母もすすんで奴隷になってたな……)

でも、そういう風に人格を無視した扱われ方は不当だということをPTAで認めて受け入れたとしたら、その人は家庭や職場で理不尽な扱われ方にストレスをため怒りをためていくことになります。
でも現代の日本では、女性と貧困はセットなんだよね。
自分の主張を唱えたら、職場から「代えのパートはたくさんいるからやめていいよ」と言われるかもしれない。夫からは「誰に食わせてもらってると思ってるんだ」と言われるでしょう。
そうなったら、主張を通すことはできません。
夫が稼ぐ人であればあるほど、妻は黙るしかないんです。
悲惨なのは、夫の実家は当然ながら、妻の実家も「お前が黙ってさえいれば子どもはやしなってもらえるんだから我慢しなさい」ということです。(そう言われて誰も味方がいない中、自分を押し殺している人の話も聞きました。でもその人は母親ならそれが当然とみんなに言われて、自分でもそう思い込み、他の母親もそうだと思い、母親の時間すべてをささげないとできないくらい無茶なPTA活動を推進しようとしていました)

そういう人にとっては、シングルだろうと仕事してようと関係ありません!となっちゃうんですよね。
私よりは楽でしょう(モラハラ夫に気を使う必要がないんだから。仕事で自分のお金は稼げてるし人として扱われてるでしょう)、私だって頑張ってるんです、母親なら当然なんですよって。
()内は、意識してないと思いますが。


たとえばね、図書館でもどこでもいいんですがクレームを言うとするじゃないですか。
子ども一人のてをひいてもう一人をだっこしたお母さんからと、スーツをビシッときた男の人からとでは店員の態度やそのあとの対応は明らかに違います。
言い方がお母さんの方が稚拙とか話し方が分かりにくいとか、もしかしたらそういう要因はあるかもしれませんが、男の人は基本的に社会のどこからも一個の人格としてあつかわれるんじゃないでしょうか。

ワーキングファザーとか兼業主夫とか聞いたことないですしね。
最近イクメンっていう言葉がでてきましたが、自己紹介ではつかわないですよねえ
でも、ワーキングマザーですとかは女性は普通に使います。
たとえ働いていたとしても、やっぱり女性は個人というよりは社会的役割で見られる方が多い気がします。


もちろんね、女性が一方的に社会の被害者っていうわけじゃないです。
責任ってとるのたいへんです。それなりの努力をしなくちゃいけない。
PTAでもうんざりしましたが、それがいやで、人権を自ら手放している人もいます。
もう社会的に強制された役割をきちんとこなすだけでいいから、自分の考えをいろんな本を読んで固めるとか、議論するとか、何かあった時に矢面にたって対応するとか、そいうのはしたくないの!っていう人たちですね。
そういう人たちはそういうひとたちで、みんなそう思ってる、みんな私たちと同じ女だからっていう認識で推し進めるわけです。
これはベクトルが逆なだけで、私も同じですが。

そして、社会では人格のあるひとりの人間とかで扱われなくても、家庭内で仲良く尊重してもらって楽しく生きてる専業主婦、兼業主婦の人もたくさんいます。
そういう人の方が数としては多いでしょう。
そういう人たちは、上記のような辛い状況にある人達、あとは、時間的経済的な余力がない人、健康に問題がある人を、思いやれる人は少ないです。
自分が困ってないからみんな困ってないと単純に思ってるwそこんとこについて深く考えたことがない。
幸せでいいねーとは思うけど、これも迷惑ですね。





こういうわけで、PTA問題のラスボスは、

日本社会の「母親」「妻」に対する縛りのきつさ。扱いの雑さ。

となりました。
便利でめんどくさいことを言わず無料で使える楽な存在なんですね。
そして日本の女はそんな扱いになれすぎていて、同じ女にもそんな扱いをする。

そこにひょこっとはいってきた、生物学上は女だけど社会的にはどちらかというと男側で生きてきた私が、一年驚きの中で過ごしたという話です。



長い間おつきあいいただいてありがとうございました。


※そういえば、来年度の委員長副委員長へ引継ぎしているときに、選出の時のプライバシー開示をやめて校長先生へ手渡しし内容については保護者同士では関知しないという風に変えたという話をしました。
その時に「私、PTAにはいってプライバシーをいって承認しろってのを知ってほんとに驚いたんです。言えない人はどうするの?って。それに承認非承認も、なんの基準で手を上げればいいかわからないし。だからかえました」
って言ったら、来年度の正副のうち二人がうんうんわかります!あれはひどいと思ってた!と真剣な顔で言ってくれました。
ここまで真剣に言ってくれたのは、一年PTAやってこの二人が初めてでしたw
私は、正直「これ、人道的にも法律的にもまじやばくね?小学校の校舎でやることじゃなくね?」と、かなりまずいと思っていたんですが、他の人にはなしてものんきに「そうだよねー」レベルだったんですよね。
来年度の正副の人たちは、仕事してたりちっさいこいたりで結構しんどい人がなったんで、きっと免除したくなる人の気持ちが想像できたんでしょうか。


来年度に期待して、このブログを終わりたいと思います。
ありがとうございました。












推進派と反対派のすれ違い

どうもネットでPTA推進派と反対派のやりとりを拝見していると、すれ違ってる気がします。
PTAについて話してはいるんだけど、お互い話していることが違うというか。

たとえはどうかと思うけれど、戦争にたとえてみると、

推進派は、戦場での戦闘そのものについて話してる。
反対派は、兵站について話してる。

どちらも戦争の話ではあるけど、かみ合わないんですよね。

【推進派】
◇戦闘内容
ああしてこうして、その時こっちから奇襲をかけて敵を撃破!
◇兵站
がんばればなんとかなる!勝って現地調達!

【反対派】
◇戦闘内容
敵を撃破には賛成だけど、兵站を考えにいれた戦闘をして!
◇兵站
効率的な負傷兵の戻しや新兵の供給。食糧弾薬その他の大量輸送について
現在の実際のわが軍の能力から計算して実施するべき!



ほんとはどっちも大事で、お互いがお互いをそれぞれ必要だと思い尊重すれば
最高にいい結果が出ると思います。
勝つためにこの戦闘をしなくては!という強烈なモチベーションは必ず必要で、
実際の手持ちの中でのみ勝てる戦闘を…となったらここ一番の時に戦わずして白旗ということも
ありうるでしょう?大きな物事、大切なことを成し遂げるためには、やっぱりそういう勢いみたいなものは必須だと思います。
でも強烈なモチベのみで戦闘を続けると、必ず負けるので、やっぱりそこは冷静で論理的な兵站についても考える必要があると思うんです。

PTAでいうと、


【推進派】
◇活動内容
旗振り、パトロール、お祭り、ベルマークもろもろ、子どものためになってます!
◇活動方法
全員参加(※仕事を休もうと鬱だろうと子どものためにがんばれ!)



【反対派】
◇活動内容
子どものために、については基本的に賛成だが、PTA会員が参加しやすいように柔軟に!
◇活動方法
できる人で効率のいい兵站を検討したい


戦闘とちがうことは、まず活動内容の意義と目的がよーわからんわ…ってとこですね。
そんな無理をして命を懸けてまでする効果あんの?と。
推進派はまずそこを、きちんと説明して納得してもらって活動に参加してもらうと言うのが必要最低限の活動だと思います。
そして反対派は、長い目と広い心で、推進派の言う非論理的感情的な活動について理解を示す必要があると思います。(←わたしはできませんが)

上記のお話は、ある活動を新しく導入する際のお話です。
気軽う~に、兵站についてほぼ何も考えず、「これ、いいよね!」とほんの2,3人の内輪で決めて戦闘に走り出してしまうことが多々あります。

そしてそれが当然ながら前年度踏襲されて例年活動になるわけですが、そうなると、【型】の部分がいい加減なせいでいろいろトラブルが出てくるわけです。
通常なら、【目的】から考えてじゃあそのトラブルは【型】つまりは【活動方法(兵站)】をこう変えれば目的を外さずにトラブルも解消できるね、となるんですが、PTAではトラブルは、トラブルを起こした人が悪いとなってしまいます。
そしてそのトラブルやクレームを個人の責任にして、組織の執行部の方には上がってこないように押し付ける新しい【型】が付加されていくわけです。例年。
そしてそれが繰り返され五年もしたら堂々たるブラックな活動になっています。





経験から思うことは、戦闘や活動内容については、やっぱり楽しいのかいろーーーーーんな人が口出し意見をくださったり、なんなら自分がやろうか?とかアイディアをくださいます。
地域の他の組織や、地域の個人、学校の先生、PTA会員の人達……
やっぱりわかりやすいしやりがいがあるし、アイディアも出しやすいんだと思います。

だけど、活動方法、つまり兵站について言ってきてくれる人は誰一人いないんですね。
そこを考えるのはやっぱり地味だし、縁の下の力持ちというかやりがいもよくわからないしあんまり褒めてもらえないしwつまらないんでしょう。
でも、兵站がなければ戦勝は決してないんです。
一発二発ならまぐれでいけるかもしれませんが、継続的な体力勝負になると兵站は必須です。
PTA活動において、委員長副委員長や執行部あたりが兵站を全く考えない人達の集団になると、その年のPTA活動は悲惨なものになります。
そして前年度踏襲でどんどんブラックになっていくんだと思います。

PTAの委員長副委員長、執行部あたりの人たちは、極端なことを言うと「活動目的(戦闘内容)」について考える必要はないと思います。
みんなが考えてくれる意見を、実現するためのサポート程度で十分。
PTAの委員長副委員長、執行部は、兵站だけを考えていれば、うまくPTA活動は回ると思います。具体的には、
・PTA会員の個別事情による配慮、
・どうしてもできない人へのフォロー、
・できるだけいろんな人が参加できるようなインセンティブ(活動内容の丁寧な説明や、目的の共有)の提示、
・引き継ぎ資料の整備、
等でしょうか。


どちらかが押し付けたり切り捨てたりするんじゃなくて、それぞれがそれぞれの必要性をきちんと認識するのが、まず第一歩なんでしょうね。

反対派から言うと、PTAの必要性は認めています。
活動内容についても、ないよりはあった方がいいと思う。
だから別に反対ではないんです。
ただ無茶な徴兵や追い詰めるような言い方やり方をしないでほしい。
みんないい大人で、生きてきた分の価値観があり、考え方があるのを尊重してほしいんです。
いきなり切り捨てたり上からきつく言うから、反対派からの反発があがるんです。

ただ、切り捨てたり上からきつく言う推進派の気持ちもわかります。
個別対応ができない/したくないんですよね。
活動の意味をきちんと自分の中で消化していないから。
前年度からあるものをただ淡々とこなしているだけだから。
誰かがやらないといけない(と思い込んでいる)仕事を貧乏くじをひいた自分がやっているから被害者は自分だと思っている。
反対派から質問を受けると答えられず、なぜこんな困らせるような質問をするのかと自分を守るためにトゲを出すんです。

でも、委員長や副委員長、執行部は被害者ではなく加害者なんです。
そんなつもりはなくても、対一PTA会員にとっては、学校やPTAという親の集団を背負った権力を持っています。
自分が10tトラックを運転しているという自覚をもって、PTAを運営してください。
歩行者(一PTA会員)は弱者で、弱者の安全を配慮するのは強者の義務です。
そして交通法規(PTA内規)に従って運転してくださいね。自分の感情で、いけるっ、と活動するのではなく。そこは公道なんですよ。

くじでしょうがなくあたった役だとしても、長なら自分のしている仕事の光と影をきちんと認識したうえで仕事をしてください。


……こういう要求をすると「そんなレベルを求められたら、だれもPTAの長づきをやるひとがいなくなる」という答えが返ってきます。
当然です。それでいいと思います。
そんなレベルを求めずだれにでも何にも考えずやっていいのよ~とくじ引きやらなんやらで決めちゃうから、今のような低レベルのPTA問題がでてくるんでしょう。
やっぱり、PTA自体に意義を感じて前向きな人、PTAって何?っていう質問が来たら、わからなくても調べようという気概がある人がなるべきです。

つまりはやっぱり入退会の完全自由しかないのかなあと。
あとは男性の平PTA委員としての参加率が3割を超えれば、変わると思いますね。
男が多くなるとお母さん方がこれでいいかしらと、男サマの意見を聞きに行く土壌が日本にはあるので。

しかしそこで、社会で受け入れてもらっていない男性がはりきりだすと、またもや支配欲やら性欲やらで好き勝手しだして面倒は面倒なんですがね……
まあそれも、完全自由化ならOKだと思います。


ラスボスの倒し方

前々回のブログで、ラスボスは

日本の社会における女性(母親)の扱い方

だと、書きました。
夫の名前の陰、子どもの名前の陰に隠れて、自分の名前と自分の責任で物事をする、
機会がない(人もいる)、
しようとしない(人もいる)、
することを許されていない(人もいる)。


何も意見を言わず、言われたことをそのままやる人達、自分の頭で考えない、自分の頭で考えてもそれを行動に移さない人達に対しては、社会のいろんな人や組織がつけこんでおいしい汁を少しだけ吸おうと寄ってくるものです。

ブラック企業の経営者とブラック企業の従業員もしかり、
政府与党と選挙に行かない若者たちもしかり。

明確な悪意があるわけじゃありません。
ちょーっとだけ自分達に都合がいいように、あなたの労働力や経済力をちょっぴりいただけないですか?もちろん広義ではあなたのためにもなると思うし!と。
ほんとにちょっぴりなんでしょうが、そうやって群がってくる組織や人がおおいと、群がられた方にとっては積み重なってかなりの負荷となります。

今、うちのPTAに付加されてるいろんな活動はこのようにして、個別の対組織に対してはそれほどでもないけれど、トータルで考えると強制徴兵しなければこなせないほどのノルマとなっています。

要は、外部組織から打診があった際に、PTAとして会員の状況や社会情勢、その活動を引き受けた時のメリットデメリットをトータルで考えて、断っていればよかったんです。


「子どもたちもお世話になっていますので、お引き受けして地域のため(行政のため)になりたいのはやまやまですが、今PTAの事情はこれこれこうで、とてもこれ以上の活動を増やせない状態なんです。申し訳ありません」

「これこれこうで」というところには、数値的な実績と会員の情緒的な事情説明双方を、相手に納得してもらえるように説明した内容が入ります。

外部組織ではなく、PTA内部からの突き上げがある場合もあります。
悲惨な小学生の交通事故や誘拐、池田小学校のような事件。
ああいうのが報道されると、子育て中の母親(メスの哺乳類の性なんでしょうか)は、発狂といってもいいほどナーバスになります。
自分のこどもだったら……と考えて、何かせずにはいられない気持ちになるんですよね。
そして、なにかしよう!と。
他の母親も【みんな】そう思っているはず!→PTAに活動をしてほしいと頼もう!
となり、パトロールを輪番にしろとか旗振りをしろとか意見がきます。

それも、受けてもいいんですがまず、PTAとして会員の状況や社会情勢、その活動を引き受けた時のメリットデメリットをトータルで考えて、アンケートをとるなどして客観的な意見もいれ、兵站について綿密に考え抜いたうえで導入するかしないかを判断すればよかったんですよね。

「警察から発表されている現在のこの校区での不審者目撃数は年●人であり、全国的に見てもかなり少ない部類でした。また、アンケート結果と、PTAというボランティア団体での活動という性質から考えると、全保護者輪番でのパトロールは適切でないという結論となりました。しかしながら、アンケート結果から不安に思われている保護者は●●%という数でしたので、パトロール自体は実施したいと思います。志願制で実施しますので、ご都合のいい方は日時についてPTAまでご連絡ください、云々」


こういう返答をするには、明確な【自分の考え】【意志】がないとできません。

そしてその【自分の考え】や【意志】は、社会的役割しかなく社会的人格が育っていないと、明確に外部に対して主張できないんです。


自分は一人の人間として、自分の意思の通りに生きる権利があるし、社会から尊重されてしかるべき存在である、という自尊心はとても大事なものです。
それはまず親から与えられるのかもしれませんが、のちのちは自分の意思と行動で獲得していくものだと思います。

つまりラスボスの倒し方は、

一人一人の母親が、社会性を身に着け自分の頭で考え、自分の言葉で意見を言い、自分の責任で行動に移すこと。


(1)行政に「PTAの違法なところ」を指摘し、学校やPTAに指導をしてほしいというやり方や
(2)PTA内部に強烈なリーダーシップを持った人が現れて大改革を実施するというやり方

どちらも、改善はするとは思うんですが、上記の「ラスボスの倒し方」ができていなければ5年もたてば結局は元の木阿弥になるんじゃないのかという不安が私にはあります。

だって、「だれかがやってくれたこと、言った指示に唯々諾々としたがう」という、PTA構成員の本筋は(1)や(2)では変わっていないのですから。


「だれかがやってくれたこと、言った指示に唯々諾々としたがう」集団があって、人手やお金がそこそこあれば、それにめをつけて「ちょっとだけ自分の組織の手伝いをしてほしい」という自治会や子ども会、行政、企業、宗教団体などは、当然またそろそろとそれらしことをいいつつ自分勝手な善意をまとって寄ってくるでしょう。

みんな、人も組織も基本は自分勝手で自分達のメリットになるように動いており、それはそれでものすごーーーーく正しいと私は思っています。少なくとも自分の頭で考えて自分たちへ利益誘導するのはとても正しい姿です。
そんな人達が、ぼへーっと言うなりになってる集団があれば、「こりゃちょっとだけ利用させてもらおう、あっちにも(広い意味で考えれば)メリットはあるしね」、と揉み手をしながら寄ってくるのは当然だと思います。

そしてそれを、きちんと断れないのなら搾取され続けることもしょうがないんでしょう。
PTAはなぜか対外的にだけ真面目で責任を取ろうとするので、外部組織の動員に対して誠実に、PTA会員に動員をかけます。PTA会員が無理だと断れないように強制的に動員をかけ、外部組織に対して責任を果たすんですよね。
内部のPTA会員に対しては決して責任はとろうとしないのに。
これは日本の特徴なのかなあ
外圧にだけぺこぺこするっての

(最近だと、公共の無料WiFiがなくて不便だってのはもー何十年も前から国内では言われているのに、外国人たちのアンケートでトップになった途端「対応します」ってね……
観光事業に力を入れたいからかもしれないけど、住んでる人達が快適になるようにっていう視点がないよね……)



そして、私はたまたま仕事をして、三人の子どもがいて、祖父母遠方というPTA弱者なのでここまで問題意識を持ちましたが、
同じ職場で一人っ子の同僚は、「一年我慢して適当にすますわ~」と気楽です。
うちの会社は福利厚生がいいので三人産んでる人が結構いるんですが、そのすべてが自分の両親か夫の両親の傍に住んでいます。ので「まあたいへんだけど、おばあちゃんとかに家事育児は手伝ってもらってなんとかできるかなー」って感じですね。

PTAの方で仕事をしてない人たちについては、もっと気楽な人が多いでしょう。
実際私も、家事育児仕事PTAでほんっとに体調崩すくらい必死になっているときに、他のお母様方からお楽しみサークルとかに結構誘われたんです。
ヨガとか陶芸とかバレーボールとか吹奏楽とか、一緒にやらない?と。
週1回の練習でえ、一か月に一回集まりがあってえ、フネさん得意そうだし!と。
正直なところ、一瞬殺意が芽生えましたね。「暇でいいねえ~」という禁句を口走りそうになりました。別にその人が悪いわけでもないのに。


だからねー、うちの校区では結局できる人の方が多いんでしょうね。PTAを。
楽に楽しく人生を送ってる人の方が多いと思います。。
社会性を身に着け自分の頭で考え、自分の言葉で意見を言い、自分の責任で行動に移すこと
なーんて別に望んでない人がほとんどでしょう。
いや、実は表に現れてないだけで苦しんでいる人がいるんでしょうか?
その割合はどれくらい?
苦しんでいる人を救うためにPTAを変革したら、今度は今まあまあなんとか不満にも思わず活動している人が苦しむようになるかもしれない。

少なくともうちのPTAにおいては、PTAはみんなにとって迷惑な組織だから変革すべきだとは、思わなくなりました。
PTAは私にとって迷惑な組織なんです。
変革したら、私にとってはやりやすくなりますが、不満に思う人も当然でてくるでしょう。
そして私の生活環境はかなりのマイノリティですので、不満に思うようになる人の方が多くなる可能性があります。


と、いうことは。



私のような現在のPTA弱者はどうすればいいと思いますか?

自分が断ればいいんです。



まとめますと、
PTA弱者にとって、今のPTAの活動の仕方では参加が難しく、参加しないという選択肢がないために生活に悪影響がでているという問題点がある。

それのラスボスは、社会の母親に対する扱い方。
それによって構成員一人一人が社会性を失い、自分の意思自分の責任で行動しなくなる。
それがPTAに顕著にあらわれ、組織としてのていをなしていないブラック組織に。
そしてそのブラック具合が、余裕のないPTA弱者に直撃。


ラスボスの倒し方は、
母親一人一人の意識改革
(それを促すための外部刺激も効果的(行政への指導を依頼、強烈なリーダーによる改革))

しかし、余裕がある程度あるPTA会員にとっては、上記については全く関係がない異世界の話。

よって、PTA弱者としては、PTA活動への参加を

断る

のが一番、WinWinなんではないでしょうか。

それが許されない土壌や空気があるのはわかりますし私もひしひしと感じています。
が、まあうちの校区では「ほんとうにすいませんすいません」とぺこぺこして被害者ぶっていれば、断れなくはない感じの状況ですね。

ダメージ

PTA中は通勤時間は携帯でのメールのやり取りに充てていたんですが、PTA終了に伴い好きな音楽を聴いて本を読んだりネットを見ながらの楽しい時間になりました。

が、

サザエのお友達関連で知り合ったお母さんとたまたま途中で会って、方向が同じだったので一緒に行くことになって、PTAの愚痴をさんざん聞かされ、しばらく浮上できないくらいダメージを食らいました。
もうなんか……人の醜さをこれでもかー!これでもかー!と投げつけられなすりつけられたような胸糞悪さ。

私は今年度の校外委員長だったんですが、その人もとある地区の校外委員をやってました。
で、めでたく来年度の人が決まってその人も引き継ぎをしたらしいのですが、その時の決め方や引き継ぎの時の来年度校外委員さんに対する愚痴でした。

リアルタイムで愚痴がいいたくて私に電話したそうなんですが、あいにく不在で着番も覚えていなかったので出ずに済んだんです。
「話したくってさあ!」
と言われたけど、電話に出なくてよかった……
通勤電車だから時間制限があるけど、家への電話だったらエンドレスだったよ。

で、まあ聞いてるとね。
もともと今年度の人は、来年度の人を嫌いだったんだね。
それをPTAにかこつけて文句言っていました。
曰く、
大事な引き継ぎなのに出かける準備をしてついでに寄ったみたいな感じだった。
曰く、
コートとマフラーを引継ぎ中ずっととらなかった。
曰く、
シングルマザー(来年度校外委員さんはシンママです)なのに何で免除にならないの?とかみつかれたけど、そんなこと私(今年度校外委員)に聞かれてもわかるわけない。
曰く、
仕事一つ一つに、これいる?とか目的が分からないとか言ってきた。そんなの私(今年度)にきかれてもわかるわけないじゃんねえ!
曰く、
やりもしないで文句を言う人が一番嫌い!


私が「やりたくないならやらなくていいんだよ本来は。だから今のシステムの方がおかしいんだって。その人が悪いわけでもあなたに文句を言ってるわけでもなくて、システム自体に不備があるの」と言っても
「そんなん関係ないんじゃ!」と言わんばかりで、それについては回答無しで自分の愚痴をどわーーーーーっと。
それなら別に私にじゃなくて、飼ってる猫に話せばいいんじゃね?

愚痴って楽しいんですかね。
そういえば私は昔から愚痴が理解できない人で、友人からの相談についても答えをだそうとしておりましたわ。そして怒られた。
愚痴りたいだけなんだと。
私は愚痴りたい状況って辛くてしんどいので、状況を変えるように動くんですね。だから何も変わらず変えずに愚痴だけを言っている状況というのがよくわからない。

今回のこれもまあ愚痴なんですが、もう解決策を考え実行しています。
朝の通勤電車の時間を変える。


今年度の人も来年度の人も、お互いそりがあわなくて嫌いだったんでしょう。
それは人間なんで当然あります。
でもPTAがなければ、ここまで露骨にぶつからず棲み分けして平穏に生きられただろうになーと思うと、マジPTAいらんと思います。
お互いにそこまで深入りせず、会えばにっこり挨拶する程度にしておけば、余計なストレスがなかったのにね。

そして、PTAの改革の無理度が、その人の話を聞いてさらに倍率ドンでわかりました。
もーだめだわ。
「PTAの仕事はもう天と地が分かれたその時から自然の理として存在しているもの」と同じあつかいだわ
なんど任意団体、ボランティア、今の状況がおかしい、と伝えても、まーーーーーったく響いてない興味もないどうでもいいって感じでしたww
そんな組織がうんちゃらの話しより、私と同じマンションの気に食わないあいつがPTAをやらない方が大問題なのよ!あんなこともされたこんなことも勝手にしてる前年度とは全然違う許せない!ってね……

まー来年度の人、私も知ってますが、友達にはなりたくないタイプなんで普通に失礼なことを言ったりやったりしてるなあとは思いますが、直接火の粉がかかってくる今年度の彼女にしてみればとても許せたもんじゃないんでしょう。

ほんっとに誰も幸せにしないしすてむだなあーと思います。
行政が金を書けなくて済んで喜んでるくらい?

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]